孤高の天才ピアニスト グレン・グールド

THE GLENN GOULD COLLEOTION

「孤高」という言葉を安易には使えない。なぜならグレン・グールドこそが、「孤高」の人であったからだ。

グレングールド

 音楽演奏家は2種類に分けられると、いつもぼくは考えてきました。つまり自分の演奏する楽器を自分の利益のために 使用する人たちと、しない人たちです。 前者はリストやパガニーニのような伝説的な人物、そして後代の超人的テクニックの持ち主と言われた何人もの名人たちです。 この種の音楽家たちは演奏する楽器が何であれ、その楽器と自分との関係を聴き手に意識させようと固く決意しています.。 つまり、楽器との関係が聴き手の注目の的になってしまってもかまわないのです。一方、後者には演奏の手法の問題全体を避け て通ろうとする音楽家たち、そしてそれゆえ、聴き手が演奏より、音楽そのものに没頭できるよう手助けをする音楽家たちが入ります。 ぼくらが考えるに、我々の時代におけるこの第2の範中に属する音楽家として、スヴャトラフ・リヒテル以上に良い例はないと思います。 (グレン・グールド/「リヒテルについての一考」より※訳/サダコ・グエン)
 1982年、50歳の誕生日2日後の9月27日、脳卒中で倒れ、10月4日午前11時30分に没す。死後30年近くになるが、  彼の音楽は今だに成長し続けている。1964年、31歳で演奏家としては絶頂にありながら、コンサート活動に終止符をうち、  不純な劇場的空間から逃れ、ひとりスタジオにこもり自分の音楽の本質を追求し続けた。  多くの逸話が、残されている。暖かいのにいつも手袋をはめて、Tシャツ、その上にまたシャツ。重ねてチョッキ、セーター  、上着、スカーフ。いつも持ち歩いていたのが楽譜入れ、ひと束のタオル。 ミネラルウォーター大瓶2本、薬の小瓶2つ。中に入っていたのは種類も処方も違う多種な薬の様ざま。特製のピアノ椅子。  ピアノに向かう前の20分間、手と腕を肘のところまでお湯に漬けていた。
 1932年9月25日、トロントで生まれる。父は毛皮商、母は声楽の教師で、作曲家グリーグは母の祖父のいとこ。  13才でベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番第一楽章」を演奏してデビュー。レコードデビューはバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」。  23歳。そして、49歳で「ゴールドベルグ変奏曲」の再録をし、これが遺作となる。
 ピアニスト、作曲家、指揮者、出筆者、役者、様々な才能を有した。彼独自の解釈がなされ大作曲家の作品が組み直される  。グールドがバッハを弾くのではなく、バッハがグールドに弾かれ絶対音楽の完成度が極まる。ある時はスウイングし、  クラシックの殻を破り、音楽となる。
 ピアノとSEXをし、エクスタシーに満ちたような姿と表情は、天才から聖人の域に達したかのようだ。  世俗とかけ離れた彼の世界は、子官的感性に満ちたブラフマンへの回帰のようで、現世の威厳をゼロにする。新生し続けていく。  時代の流れの中で。

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