60年代半ばから70年代前半にかけてのROCK傾倒する人は、現代のR&Bやヒップホップに違和感を持つ人が多い。
音楽に好き嫌いがあるのは良し。同世代でも好みは異なる。さらに世代の違いによって起こる否定的音楽の選別は、無意識に行われる。
嫌いなものを無理に好きにはなれない。が、今のR&Bやヒップホップがどういった流れで生まれ、今に至ったかを知ることは、
若い世代にもROCK信奉者にも価値がある。
前置きが長くなったが、あと少し加えておきたいことがある。
60年代半ばから登場したROCK(ビートルズらのマジービート)のパワーの根底にあったのは、黒人のブルース、リズム&ブルースに
他ならない(チャック・ベリーのロックン・ロールもリズム&ブルースに属す)。
黒人音楽のルーツはブルース。
ブルースからリズム&ブルースが生まれ、その後にジャズ、ゴズペル、他の要素も加わり、ソウル・ミュージックが生まれた。
それらの音楽が
華やかさを失っていったのは、かなり以前のことで、それに替わったのがR&B(リズム&ビート)や、ヒップホップと呼ばれる音楽だ。
特にR&Bは、ソウル・ミュージックから受け継がれたと思われる曲もあるが、かなり違った手法がなされている。
60年代にリズム&ブルースが、ソウルに移行した時に起こった驚くようなとまどう変化。「なに!?」といったものに近い。
いきなりだが、現在のR&Bやヒップホップに繋がっているのは、ファンキー、ジャンキーなファンクである。ROCKファンが、
R&Bやヒップホップにとっつきにくいのは、バンド編成がなされていないと思う点と、あまりにファンクの臭いが強く、
それがさらにブラックミュージックとしての色合いが濃いためだ。ジェームス・ブラウンの曲の中には、リズムが際立って、
それに乗せて歌が流れていくものが数多くある。メロディや曲よりも、リズムをいかにユニークにするかを優先し、
その流れに歌詞をつけていく手法で。今のR&Bには、それが用いられている。
リズムから曲を作りあげていく手法は、曲作りの基本だが、リフレインに特色を持たせて、曲全体を作り上げる。
実はこれが黒人音楽の要なのだ。69年に大ヒットしたアーチ・ベル・ザ・トレルズのソウル曲「タイトゥン・アップ」は、
個性的なリズムの繰り返しが強烈で熱く衝動的。
ファンクの創生期は68年後半から72年くらいとみられ、ジェームス・ブラウンの始めたことをわかりやすい形にしていったのが、
スライ&ザ・ファミリー・ストーンだ。ラリー・グラハムのチョッパー・ベースが前面に出て、ファンク音楽のスタイルをアピールさせた。
70年の大ヒット曲「サンキュー」を聞けばファンクがとても理解しやすい。
スライの他にもこの頃アメリカ各地で、多くのファンク・バンドがムーヴメントを作っていった。アイズリー・ブラザーズ、オハイオ・
プレイヤーズ。ロスのワッツー03番街リズム・バンド、ウォー。ニューオリンズのミーターズ、デトロイトのパーラメンツ/
ファンカデリック他。80年代のイギリスのDJ達が、そんなレコードを掘り下げて探し出したことから、ディープ・ファンクという呼び方も
生まれた。確かに69年から79年くらいまでのレコードにはブラック・ミュージックの宝物音源が多く、今の若者にも支持されている。
マイルズ・ディビスもジャズ・ファンクという分野を創り上げ、ドナルド・バードなどはこの分野での人気のアーティスト。
ニュー・ソウルといわれるムーヴメント(活動)は60年代末の音楽的変革で、黒人たちがファンクを自分達の音楽として
作り上げていこうとした動き。黒人の尊厳を高めようとすることをテーマとし、ストリート精神あるメッセージ・ソングとして現れた。
スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイら大物も次々とアルバムを発表しファンクは、スピードとパワーを持って発展し、
ファンクというジャンルが確立された。ソウルとポップ・チャートの上位にランクされる曲が出たのも、ストリートの言葉も
生まれたのもこの時代。ストリート・ファンクならクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズと言われ、アメリカでも日本で
も第一次クラブ・ブームが起きた時代(日本ではゴーゴークラブ)。
ロックバンドも刺激を受け、ニューロック、アートロックが生まれる。クラプトンのクリーム、ジミー・ペイジのレッド・チェッペリン、
シカゴ。( ストーンズやビートルズもその色を取り入れていった。)彼らもまたリズムとリフにこだわり、痛烈、強烈。
大胆なロックを生み出した。「サンシャイン・オブ・ラブ」「長い夜」「胸いっぱいの愛」「移民の歌」―。リフがソウルフルで、
ギター・テクニック、ヴォーカルも並では成立しない凄さがあった。(日本のROCKバンドがこの時代にしなびていったのは、
彼らが凄すぎたからだ)リズム&ブルースではなく、ファンクというリズムや形で表現していくのがR&B。元祖はジェームス・ブラウンだ。
映画「サタディー・ナイト・フィー・ヴァー」が大ヒットした78年。その前後はダンス全盛で第二次クラブ・ブーム。
ファンク・バンドが最も商業的な音になっていった時代。ストリートの精神は薄らいでいき、軽〜く踊りやすい曲が好まれた。
方向転換の早かったビージーズ、そしてアバなどが好まれる。ベトナム戦争が終わり、何かが失せたのだろう。
ボブ・ディランの初来日のステージは、レゲエのリズムとコーラス。ROCKファンは首をかしげた。
80年代にようやく、その反動が現れる。リック・ジェイムス、アース・ウインド&ファイアーらのミュージシャンが登場した。
EW&Fの「シャイニング・スター」がソウル、ポップの両部間で一位に輝き、その後も次々とを飛ばした。
対象的なパーラメント/ファンカデリックは、その規模はEW&Fよりさらに大きく、そしてより黒っぽいために、日本では反応が薄かった。
彼らのファンクはPファンクと呼ばれ、78年に「フラッシュ・ライト」が初めてのチャート一位になるだけで、
80年代末のラッパーらによって、時を隔て評価が高まる。中でもアルバム「チョコレート・シティ」はストリートを匂わせる傑作と絶賛される。
ストリート精神が甦ってきたことにより、60年代、70年代のファンクの見直しが若い世代によって行われ、それが彼らの表現手段を用いて
、R&Bは成り立つ。
ソウル・ミュージックからR&Bへと変貌した正確な答えを探すのは難しい。多分、ソウル・バンドは編成も大きくなるし、リズム・セクションには
テクニックも要求される。つまり営業的に成り立つことが難しかった為だろう。パソコン、シンセの普及により、貧しい黒人が手軽に、
わずかな機材とお金で、自分のストリート精神を表現できることが、R&Bのムーヴメントを舞き起こした大きな要因と思われる。
さらにクランプという踊りが、アフリカの血のアート・パフォーマンスとして、ダンスの世界に影響を与えたことも大きかろう。
日本ではダンスミュージックとしてのR&Bという認識、またラッパー、DJはすべて日本流にファッション化されてそれで良しという向きもある。
マルコム×、キング牧師、ケネディ暗殺から、モハメッド・アリ。黒人であることの尊厳をことごとく踏み潰されてきた歴史が、
今のR&Bやラッパーを育てていたとも言えるし、ラッパーの叫びは、マルコム×、アリらの熱弁とどこか重なる。
アメリカではDJはレコード回しでラッパーのサポートだ。またライブバンドでもラッパーが主役、ギターやベース、ドラムのアドリブが入り、
ラッパーを盛り上げることに徹している。
ともあれファンクが、R&Bにその座を譲ったとしても、かつてのブラック・ミュージックは今も強烈に影響を与え続けているのは事実。
そして黒人たちのくそ地獄のような語りは、実は政治的反社会的なメッセージだ。それは過去のミュージシャン達の音楽、
存在そのものが新しいムーブメントとして再び広がりを見せたと同時に、かっての黒人音楽が生き続けているということだ。
これをもって終わりとする。 「ストリートの精神を失った時、芸術は活動が止まり、商品のみが生まれる。
それはいずれ忘れられるもの音楽に限らず、すべてにおいて。」