河童は各地により、そのいわれが異なる。九州北部では平家の落ち人をさすことが多い。
己の死が近いことも知らず、坊主に化けた鬼が、狐が化けた美しき女に微笑みかけている。「お前はいつも笑顔。この世の者とは
思えないほど清く、素晴しい、美しい」。
女は「ありがとうございます。とても幸せなる御言葉、素直に頂戴いたします」と、しおらしく、色っぽい視線に愛橋を添えた。
心の中では 「この鬼めが、坊主に化けたところでこの私はお見通し。お前ごとき老いた鬼に心を許す私ではない。いや、この世
の人間の雌ですら、お前が経をとなえたところで身をゆだねることはない、それを解からずして、鬼が務まるものか。お前の命が
残り少ないのも、鬼の片隅にも置けない馬鹿鬼だからじゃ」と冷笑した。
鬼は自分が坊主になっていることすら忘れ、宝物を与えれば、少しは気を引けると余裕をもった表情で、去りゆく女とまた会える
ことを楽しみに、再び経をとなえ始めた。
この鬼と女狐のやりとりを聞いていた河童は、池からはい上がり、女狐の女に話かける 「あの鬼は己が永く生きられないこと
を悟れないほどお前に心寄せているが、この世のしきたりとしては、去り行く者には少しばかりの気遣いするのが礼儀というも
の。哀れむのは自尊心を傷つけることになりかねないから、御世辞を使うのが常。
死が近いものと死を意識しない若き者との立場がまるで逆のようだが、それはお前が人間の姿をしても、心が狐だからなのか?」
女狐は「いや、私が人間の雌であったとしても、私には子が宿り、
それが神の子供であろうと、悪魔の子であろうと、私は子を産み、育てていかねばならぬ。それは狐であろうと人間であろうと、
雌の宿命。私の命は元気な子を産むためにある。種のないような雄には私のおつとめを果たせる力がない。まして坊主に化けた鬼
になんぞを、私は雄として認めるわけにはいかない。これから生まれてくる命が大切じゃ。去る者は仕方ない。どう神頼みしたと
ころで、若さは取り戻せるものでもなし。寿命とは寿の命。寿とは目出たいもの。死は新しい命を誕生されるためには寿である。
だから死に去る鬼なんぞに、私はまったく用はない。そんなことより私は強い精子が欲しい。だからこうして女狐ごときが人間の
女に化けて、強い精子を持った雄、いや男を待っているのじゃ。狐が化けるのは、強い子、そして賢い人間の雄の精子が欲しいか
らじゃ」。
河童は、女狐の知恵にあきれ返るほどの母性と雌のたくましさを感じた。そして、「じゃあ、狐の世界には人間の雄の精子との結
合で産まれてきた狐がいるというのか。そんなに化けてまで人間の雄の精子を欲しいのは、人間の雄の精子が素晴しいということ
を狐が知っているというのか」。
狐は笑いながら河童に 「ホ、ホ、ホ、狐だけではなかろう。タヌキや蛇も化けるさ、狼だって。神として人間が拝めた過去があ
るじゃろ。狐も祭られているじゃろ。>生きる力は人間よりも動物の方が強いのじゃ。一度に6、7人の子を産む。人間の雌には
できぬこと。狐が人間の雄の精子を欲し
がるのは、狐の雄にはない賢い精子があるからじゃ。賢い狐を産むためには必要じゃ。その賢さが薄れた狐が多くなると又、この
私のように女に化けて、賢い人間の雄の精子をいただきにやってくる。人間社会に住む女の中には、狐もいればタヌキもいる、蛇
だって。人間にはわからぬが、我らは、誰が蛇が化けた女かはお見通し。が互いに感知しない。自然界の掟じゃからの」。
河童は
皿の水が少なくなってきたのに気付くも池に近づき振り返っていった。「河童は暗い過去を持つ者ばかり。俺の父は平家の落人で
あり、あの鬼のように坊主に化けて生き延びようとしたが、見抜かれ打ち首にされた。永い時間、地上にいない方が安全だから、
自ら頭の皿に『寿命水』を持つようになったんじゃい。まあ、女狐よ、お前さんは人間さまより残酷じゃないから、お前の味方を
しよう。賢い精子をたんまりいただけることを願うぞ。じゃサラバ」。
女狐は何事もなかったようにみずみずしいでたちで山道を下り始めた。
その頃、坊主に化けた鬼は、宝物の中からどれを女にさし出そうかと、考えながらおめかしで頭をそり始めた。